高松凌雲顕彰碑

天保7年(1836)、古飯の庄屋高松家の三男として生まれた高松凌雲は、24才の時にて医学の道を志します。江戸で医学の修行をした後、大阪の適塾に入門。その後一橋家に仕官したのをきっかけに、慶応2年(1866)には15代将軍徳川慶喜の奥詰医師を命ぜられました。慶応3年には徳川昭武(慶喜の実弟)に随行して渡仏した凌雲は、そのまま欧州にとどまり、医術(外科学)の研究を続けていましたが、翌年、戊辰戦争勃発の報せを受け、急遽帰国の途につきます。帰国後は幕軍と行動を共にしますが、病院頭取として敵味方の別なく傷病兵の治療にあたりました。戦争終了後、一町医者として開業し、明治12年(1879)には医師仲間と「同愛社」を設立し、貧民施療に努めました。大正5年(1916)東京の自邸で81才の生涯を閉じますが、「同愛社」は昭和20年(1945)まで続き、戦前の日本における社会福祉医療の一端を担っていました。現在、顕彰碑を建て、凌雲の業績を称えています。

【住所】小郡市古飯789
【アクセス】西鉄大牟田線「端間駅」
より徒歩30分
【TEL】小郡市教育部図書・文化課 電話:0942-72-2111