松崎藩の有馬豊範が延宝8年(1680)に、三潴郡西牟田からこの地に移しました。
霊鷲寺には、江戸中期に起きた一揆で農民側に1人の死者も出さずに農民を作った稲次因幡正誠の墓があります。
享保13年(1728)8月、農民達が藩の重税に耐えられず、一揆を起こしました。(当時、一揆が起これば首謀者は処刑されていましたが)、27才の若年家老・稲次因幡正誠は単身首謀者と会見して、農民の要求に応じ、また首謀者の処刑はしないと約束し、農民達を救いました。因幡が死去した後、筑後八郎の百姓はその死を悲しみ、懇ろに霊鷲寺へ葬りました。その墓前には庄屋大庄屋などが灯篭を建てました。
【住所】 | 小郡市松崎111-1 |
【アクセス】 | 甘木鉄道「松崎駅」より 徒歩7分 |
【TEL】 | 小郡市観光協会 0942-72-4008 |
【歴史について】 | 小郡市の歴史を守る会 0942-80-1920 |