名馬池月の塚

伝承によると鎌倉時代の武将である佐々木高綱ささきたかつなは、平氏征伐の軍功により筑後国の鯵坂庄に所領700町歩を賜り、名馬「池月いけづき」とともに鯵坂の地に移り住んだ。 そして、ここに城を築き三潴郡笹渕村より嫁をもらい一子をもうけ、佐々木三蔵利綱と名付けた。 3年後に鎌倉幕府の命によって利綱と池月をこの地に残し、鎌倉に帰った。
この地にいる時、高綱は名馬「池月」に鞭打って領地を乗りまわっていたが、利綱もまた父の意思を継ぎ、名馬「池月」を我が子のように大切にした。 領民たちも、領主の名馬「池月」をこの上もなく愛し、領地をかけめぐる「池月」を仏の再来として信仰。 名馬「池月」が死亡すると、その遺体をこの塚に葬り「名馬池月塚」と称した。

【住所】小郡市八坂
【歴史について】小郡市文化財課
0942-75-7555